
ある大学の卒業制作で短編映画を撮ることになりました
その過程を此処に信貴山日記として綴っていこうとおもいます
去年までバカバカしくて笑えるものしか作りたくない と思っていたのですが
今年頭に祖父が亡くなったのをきっかけに30分程の短編映画を撮ろうと決心しました
この気持ちを記録したいと思ったのです
祖父は10年の長きに亘り末期のリウマチに苦しんで最後は肺炎という形で 10年の寝たきり生活とは裏腹に たったの一日でこの世を去りました
その10年間は家族の全く誰にとっても重苦しいものでした
リウマチほ膠原病の一種で不治の病とされており 大体が神経質な人がなる病気です
祖父はとんでもない偏屈者で 布団をずらして欲しいときも「右へ3ミリ」といった具合に
他人には信じられない指示を出してきます
5分おきに母を呼び 夜中でも大声を出して何が何でも 自分が思ったことを通していました
祖父は母の父であった為 父からしてみればとんでもないところに婿入りしてしまったんだろうな というのが幼心にも感じて取れました
父はアウトドア派で週末は車でどこかに行くのが唯一の楽しみでした
しかし祖父は母が自分の側から少しでも離れると許さないといった感じで たびたび祖父と父の荒れ狂った声が家中に響きました
祖父はショートステイなどの福祉施設に入ることを断固拒否し 入っても頭の良い祖父は夜中に何回ものナースコール攻撃で病院や施設から「もう来ないで下さい」と言われ 結局は家に居ることしか出来ませんでした
父の鬱憤はお酒で晴らされるようになりドラマのように物がバンバン飛んでくることもありました そんな父と実の父の間に挟まれた母を守らなければというのが私と妹が受けた印象でした
しかし大学に入学してから私は外への居場所を見つけて 家から逃げるような生活を送っていました
次第に祖父に顔を合わすこともほとんどなくなっていきました
家の中から逃げている私を母は再三「家族なんやから 長女なんやから」といって家の中に私を戻そうとしていました
私は「家族」という名の束縛が嫌で嫌で仕方ありませんでした
逃げている私に代わって妹だけが母の頼りとなっていました 私は完全に家族の中で浮いた存在でした
そんな中二年前の夏祖父がストレスで血を吐いてから徐々に弱っていきました
私は祖父は絶対に死なないと思っていたのでそんなに心配らしい心配もしていませんでした 今思えばおかしな事ですが 私の中で祖父は本当に不死身の存在だったのです
去年の秋頃から家に居ることが多くなってきた私は祖父が丸くなってきたことに少し親近感を抱くようになってきました 以前のような鉄のような鋭い目つきの「おじいちゃん」ではありませんでした
死の前兆だったんでしょうか 少しずつ柔らかくなっていくおじいちゃんが本当に好きになっていました
おじいちゃんが何故こんなにも柔らかくなっていったのか それは私たちの接し方にあったと思います 母は祖父に対する接し方を自分だけが辛いのではなく おじいちゃんも辛いんだという見方であらゆる方向に光を見出していきました
ノイローゼ気味だった家中が考え方一つで陽が当たるようになるなんて驚きでした
当たり前ですね おじいちゃんは10年も寝たきりで自分で痒いところも掻けないでいて手や足 身体のどこを動かしても尋常でない痛みが襲って食事もトイレもお風呂も何をするにも人の力が必要で この不自由な日常はどこまでも続くわけで・・・毎日同じことの繰り返し 気が遠くなるんだろうなと思う
何故こんなに基本的な人の心が今まで解らなかったんだろうと 今では本当に後悔して止みません 何故もっと早くこの気持ちの側までいけなかったのか・・解ったときは後の祭りです
今まで私が感じたことを映画として 記録としてまとめようと思いました
その映画制作の過程を周りのスタッフを含めおもしろおかしく綴っていきたいと思います